古本を読む

古本を読んで要約や感想などを書いています

岩浪洋三 今日的ジャズ談義 

今日的ジャズ談義

1982年初版 荒地出版社

著者 岩浪洋三

 

1970年代から80年代初頭のジャズの状況が書かれている本。その当時のジャズのさまざまな問題やトピックについて雑誌『オーディオ』に連載した著者のエッセイ集である。新しい現象や事件が次々に起こり、ニュー・ジャズからフュージョンへ、そしてメインストリーム・ジャズの復興やスウィングの台頭といった動きがあった時代だそうだ。

 

メインストリーム・ジャズは復興するか

この本の中でたびたび取り上げられるのがメインストリーム・ジャズと新たに誕生したジャンルとの対比である。脈絡と古くからの伝統を受け継ぐ主流派ジャズ、それに対する新興の非主流派ジャズ。 70年代のジャズシーンはシンセサイザーなどを使う新しいサウンドが従来のものに取って代わりメインストリームいわゆる主流派を脇に追いやり流行した時代であった。その新興の非主流派ジャズはフュージョンと呼ばれるジャンルである。ハービー・ハンコックチック・コリアなどが代表的なアーティスト。ポップミュージック的性格をもつフュージョンはジャズのレコード売り上げの上位を占めるようになっていった。

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しかし、80年代に入り主流派ジャズが巻き返し始める。ライブ、コンサートといった生演奏でアドリブを活かしベテランプレイヤーがファンを沸かせたのである。ベニー・グッドマンアート・ペッパーライオネル・ハンプトンなどのビッグスターたちが若者たちから支持を集め始める。この復興がきっかけだろうか。アメリカ、そして日本でもスウィングの人気が高まるのである。上海バンスキングという戦前の日本のジャズメンを描いた芝居が話題になったのもこの時期である。

 

70年代ジャズの総括

この本の後半の章では70年代のジャズシーンを振り返り激動期であったと作者は判定している。エレクトロニクスを活用した新楽器の登場、ジャスとラテンアメリカ音楽との融合、斬新なサウンドを生み出すアレンジャーの活躍などをあげ多様化の時代と評している。新しい楽器とは電化された楽器のことで、電気ピアノシンセサイザー、電気ベース、いわゆる電子サウンドである。それが用いられ広がっていったのである。また、ジャズはサルサやレゲエなどのラテン音楽と結合し新たなサウンドを築き上げる。そして、70年代のジャズの世界は貪欲に新しい音を飲み込みながら才能ある人間を輩出していた。クインシージョーンズなどである。彼はプロデューサー、アレンジャーとしてジャズシーンをリードした。即興演奏からストリングスなどオーケストラが多くなりアレンジャーが求められる時代となっていたからである。

 

~本を読んで~

自分はジャズはほとんど聞かないので、本に出てくる固有名詞はまったく知らず。それでもクインシー・ジョーンズだけは知っていて、名前が出てきて驚いた。マイケルジャクソンのスリラー、Badのプロデューサーだった人で、洋楽をよく聞いていた人なら誰でも一度くらいは耳にしたことがあるはずの有名な人。キング・オブ・ポップの立役者みたいな人がジャズをやっていたと知ってジャズって凄いなあと思った次第。ただ、ネットで彼の名前を検索してみると…マイケル・ジャクソンのことをディスってるみたいですね…あなたたち『ウィ・アー・ザ・ワールド』と一緒に歌ってただろと、あれはなんだったのかと...。まあ、晩節を汚すような真似をしても素晴らしい歌の数々は後の世まで歌い継がれることでしょう。個人的には爺はよしねと言いたいところなのですが…

森戸辰男 クロポトキン 

クロポトキン

昭和24年(1949)初版 アテネ文庫 弘文堂

著者 森戸辰男

 

クロポトキンの生い立ちや社会運動家としての生涯を紹介する本。

著者の森戸辰男は『クロポトキンの社会思想研究』という論文を執筆し東京帝大を追放されている(森戸事件)。

 

“究極の社会理想として無政府共産主義の正しさを確信するに至った”

はしがきにて森戸辰男はクロポトキンへの共感を表明する。権力と搾取のない社会、万人に自由と安楽の保証される社会。それだけでなくクロポトキンの生きざまにも心酔している様子がうかがえる。

 

クロポトキンは貴族の家に生まれ、父は軍人であった。家庭は裕福とはいえず「けちけちした経済」で貴族の体面とは虚飾であった。少年侍従隊学校に入校。そこでは自然科学を学び研究者としての素養を養う。成績が良く首席でありながらもエリートコースには進まずシベリヤへ赴任。そこで彼は進歩的将軍のもとで民政改革を学ぶ。これが無政府主義者となる彼の礎をなす。その後、ポーランド独立運動に関係したポーランド流刑者の反があり、その残酷な鎮圧を知ったクロポトキンは軍を辞職する。

 

それからシベリヤを離れペテルブルクの大学に入学し五年間彼は数学を学ぶ。そこでは地理学での新発見をなし学者としての地位を確立する。だが彼はそれを良しとせず社会運動家を志す。スイスのチューリッヒで国際労働者協会に加入し労働者運動に参加、そして無政府主義者になる。

 

クロポトキン無政府主義者になるきっかけはスイスのジュラで懐中時計製造業の職人たちに感銘を受けたからであった。自宅で働き、自由に会話でき、職人の間にはより多くの独立とより多くの独創とがある。労働者が人から指導され、かつ少数者の政治上の目的に屈従されている群衆でない。

「ジュラ山中において見出した平等主義に基づく相互関係、私が労働者の中に発達しつつあるを見たところの、思想と表現の独立、主義に対する彼らの無制限な献身的態度は、さらに一層強く私の感情に訴えた」

 

 以後彼はヨーロッパ各国で運動に従事し、『パンの征服』『田園と工場と職場』および『相互扶助』を出版した。

 

 

~本を読んで~

この本では著者である森戸辰男のクロポトキンへの賛辞が書き連なる。クロポトキンの生活は芸術的で、ヒューマニスティックな性格…それほど彼を敬愛する著者が憲法草案を作成し、現憲法にも採用されているというのには驚く。GHQマルクスはダメでもクロポトキンはOKだったのだろうか。